女王さまとしもべたち 

 
 古時計の音が嫌に耳につく。
 床に入りどれほどの時が過ぎただろうか?やけに部屋が静まり返って、自分の呼吸音が部屋全体に響くようだ。些細な音や、自分の呼吸が気になってしまうのは、身体がまだ緊張していて眠れない証拠だ。ちろりとすぐ隣の布団に入る彼女を目の端でとらえるが、寝息は聞こえて来ない。
 きしりと本日幾度目かの木の軋む音が、静けさを打つように大きく聞こえる。眠れない眠れないと悶々と堂々巡りの思考を巡らせても、余計に無駄な想像が頭を占めてきて、ますます睡魔を遠くに押しやる。心底困った。
 それにしてもやけに静かだ。まるで任務中に、敵地で身を潜めている時のような緊張を強いられている。いつ、どこから敵が襲撃してくるか分からない、あの緊張感だ。そう、まるで…いや、そういうことか?

「……起きているか?」

 自分が状況を察知したのと同時に、テマリが囁く。

「なんか、この部屋、様子がおかしくないか?」

 砂隠れの上忍さんは状況把握の能力も秀でている。これ以上、距離を縮めるのは精神的によろしくないので、視線だけを彼女に向けた。

「なんだ?まさかアンタ、意外とそーいうの苦手なのか?」
「戯言いってんなよ?」
「どうしてもっていうなら、トイレぐらい一緒に行ってやるぜ」
「ばーか。そうじゃなく…この感じ――」

 神経を集中させる彼女に思わず顔を向ければ、すでにこちらを向いていたその顔が至近距離に見える。暗闇の中、障子越しに入ってくる月光に照らされて、瞳と口元がやけに艶めかしい。さらには、囁き声でやりとりできるこの距離は心臓によろしくないほどに近すぎて、再び目を逸らした。

「僅かだが感知系のチャクラを感じる。お前…何か知ってるだろ?」

 逃げ腰なオレに対して、テマリは無防備に顔をこちらに近づけて来る。二つの理由から、オレは身体ごと逆側に回転させる。

「なぜ逃げる。やましいことがあるな…」
「…あんた近寄りすぎ」
「こっち向けよ、シカマル?」

 …これではあの風呂場でさんざん冷やかしてきた無責任な先輩達の妄想通りになってしまうではないか。ずぼりと布団を頭にかぶって眠る体勢に入る。眠ってしまえばテマリだって流石に構わないだろう――と、思ったオレが浅はかだった。しっかり背を向けているはずのオレに業を煮やしたのか、テマリがこちらの布団をめくりそのまま体をすべり込ませてくる。

「……おい」
「お、やっと話す気になった?」

 鼻まで布団から出して力の無い文句を伝える。これではますます身体を向けることなどできないじゃないか。

「人の布団に入るな…」
「いいじゃない、あったかいし」
「いい加減にしてくれ…」

 こちらは毛布で身体を隠すようにして抵抗を続ける。男心を理解しないこの人は、手段を選んでくれるはずもなく、オレの背中に毛布越しに柔らかな体を密着させてくる。

「で、どうなんだ?何隠してる…」

 縮こまるオレに対して、テマリは耳元でゆっくりと囁いた。柔らかくて温かいものの感触は、さらに生々しく背中に伝わってくる。

「……」
「シカマルー?」

 無視を決め込んむオレに対し、無言で毛布を剥がしにかかる。隙間ができた部分から手を伸ばし、脇をざわざわと擽りだす。

「やめろっ――」

 うごうごともがいたせいで浴衣がずいぶん着崩れた。脇を擽る手が、時に肌蹴た胸元に触れたりするからマズい。限界が来る前にテマリへ向き直り、その肩を力を入れすぎないように掴んで距離を保つ。動きを防ぐことに成功した、かと思われたのだが。

「……これは何だ?」

 着崩れた浴衣の袂からほとりと落ちたものを、テマリは拾い上げる。オレが握りしめたせいでくしゃりとパッケージが潰れているそれを声音よりも冷たい目で眺めている。

「これ、は…」
「シカマル…お前、なんだか残念だな」

 暗闇にうっすらと見えるテマリの表情ではあったが、冷ややかな侮蔑の視線を向けていることはよく分かる。

「これは、オレんじゃねーぞ…」
「お前の懐から出てきたのに?」
「言い換える。これは…断じてオレが準備したんじゃねーぞ」
「……へぇ」
「その目はなんだ、本当だって」
「じゃあ、どうして」
「…押し付けられた。」
「ふうん…誰に?」

 じっとりと睨み付けてくるキツイ女を前にして先輩達を立てる理由はない。すんません、ふつつかな先輩方。

「この旅館に木ノ葉の忍が宿泊してる。さっき風呂場で声をかけられた」
「伝えたのか…?私たちのこと」
「もう知ってるみたいだったぜ?だから、面白がってこんな餞別を…」
「男ってやつは」
「いや、あれは…単なる綱手さまのしもべたちだ」
「木ノ葉の男はなさけないなぁ」
「でも、オレは潔白だぜ?」
「こんなもの…女に見つかるところも残念なんだぞ」
「…すんません」

 至近距離で、テマリは静かにこちらを見つめてくる。すでに怒りの表情は見とれないが、何を思案しているのかも読み取れない。

「シカマル、もっとこっちにおいでよ」
「いや、遠慮する…」

 するりと頬を冷たい指先が滑った。明らかな意図をもっているような指先の動きに、ぞわりと背中がうずく。ただ目を見開くだけで動けない自分に対して、彼女は距離を詰める。気づけばテマリの顔が肌蹴てしまったオレの胸に密着している。

「おい…」

 何とか呟くことができた自分の声がやけに頼りない。オレのなけなしの抵抗を押さえつけるようにテマリの腕がするりと背中に回される。こうなると男ってのは無様なもので、理性がふんばっている思考とは裏腹に、片腕はテマリの背に伸びていた。

「シカマル」

 単調なテマリの声にかぶさるように、衣擦れだけの音が聞こえていた空間に本日何度目かの壁が鳴る音。思考が一瞬で引き戻される。

「落ち着け…話がある」
「…え?」

 すりすりとオレの胸部に顔をこすりつけるようにしながらも、テマリから清かに発せられる声音は、堅い。

「私はな、下世話な騒ぎが大嫌いだ」
「…おう」
「他人に行動をどうこう言われるのも、監視されるのも」
「理解は、できる」
「お前…今夜は里の違いとか、歳の差とか、立場の差とかは忘れろ」

 至近距離で見る彼女の瞳はぎらぎらと潤んで見える。薄々理解できている…こんな状況でなければ理性が飛びそうなほどの威力がある。

「返り討ちだ」
「…おう」

 拒否などは許されない言葉だった。さらに吐息のような声音で耳元に指示をささやく。指示に違うことはできず、二人同時に印を結んだ――。
 オレの発動させた幻術が対感知系に防御を作っている間に分身の術を繰り出す。実体の自分達には隠遁術を施してそのまま部屋を飛び出した。

 飛び出した深夜の廊下は、光源を少なくしているらしく薄暗い。前を走るテマリは真っ直ぐに上階へ続く階段を目指している。遅れを取らないようにオレも彼女と同じスピードで駆ける。床板がギシリと音を鳴らす階段を二段ずつ飛ばし、踊り場を回る所でテマリが唐突に立ち止まり、窓の傍に声をかけた。

「…何やってるんだ、お前ら?」
「――テマリさま!」
「あ、えっと、報告したいことがあります!」

 テマリが驚きの声をかけた先にいたのは二人のくノ一だった。テマリが来ることは知らなかったようで、最初は驚いたように目を見張っていた。しかし堰を切ったように話し始める。

「上の部屋に、バキ先生たちが…」
「…へえ。で、お前たちは一体何をやっている…?」
「私たち、バキ先生たちがテマリさまたちの部屋に行かないように、ここに」
「…わたしたち、テマリさまたちの味方ですから!」

 砂にも同じようなこと考えるヤツらがいるんだなぁ…なんて微妙に感動してしまった。砂隠れの二人の少女はテマリを熱心に見据えつつ、ちょいちょいオレの顔も好奇心一杯の瞳で掠め見てくる。

「良い心がけだ。じゃあ、先生たちのいる部屋を教えてくれるか?」
「はい、ちょうどテマリさまたちのお部屋の真上にある、『萌黄』です」
「ありがとう。ちょっと私たちは一仕事あるから、お前らはもう部屋で休むといいよ。おやすみ」
「――ありがとうございます!」

 瞳は決して笑っていない笑顔なのに、男前な台詞をかけられた少女たちは声を上ずらせて素早く階段を下りていった。二人の背中が消えると、木ノ葉の上忍たちの拠点を目指しテマリは力強く階段を上っていく。この先に起こることを想像しながら、オレはその勇ましい背中を追いかけることしかできない。

「――シカマル、やれ」

 『萌黄』の表札がかかる部屋の前でテマリが静かに宣誓のように指示を出す。この状況で逆らうわけにもいかず、オレは影を使って錠を操作する。ほどなくカチリと開錠の音が漏れた。
 テマリが静かに扉に手を添え、ゆっくりと深呼吸を――。

「動くなぁ!」

 すぱぁん、とたいそう景気の良い音が旧館に響き渡る。通常の用法では決して発することのないような音量だ。開いた扉の向こうにいるのは何とも形容し難い表情をした残念な大人たちだった。
 
「…ここの責任者は、誰だ…?」

 睥睨という言葉が的確に当てはまる視線で、テマリは狭い部屋にいる人間を一人ずつ見渡している。
 予想外のオレ達の突入…さらにはテマリの気迫に、イズモとコテツは凍り付いている。感知のチャクラを床下に向けて発動させた無様なな四つん這いの体勢のまま、車座になって酒を飲んでいたらしい上忍たちの方へとゆるりと視線を向けた。
 オレなのか?と無様にも戸惑うゲンマはそのまま視線を年長のライドウに流した。ライドウは感情の分かり辛い仏頂面ではあったが、向かいに坐する男へとうらうらと視線を泳がせている。なぜか木ノ葉の面々に混ざっている砂の上忍は、背中を向けているせいで表情は分からない。けれど、そのがっしりとした体躯の背は強張っている。
 無言の大人たちを見据えながら、テマリは標的を上忍たちに絞ったらしい。ゆっくりとした足取りで木ノ葉と砂の上忍たちに近づく。

「並足上忍…火影側近のアナタが。それに不知火上忍まで」

 名指しで呼ばれた二人は口をつぐんでいる。硬直したような固い表情は、彼らにとっての状況の悪さを物語っている。転がる酒瓶と散乱した酒の肴に視線をやり、分かりやすくテマリは顔をしかめた。

「――バキ、先生?」

 至近距離の背後から氷のような冷たさで名前を呼ばれ、彼女の師である担当上忍は分かりやすく肩を震わせた。のろのろとした動きで、視線をテマリに合わせる。

「ここで、一体、何を?」
「…いや」
「ここで、なにを?」
「いや、すまん」
「なぜ、謝るんだ?」
「……すまん」
「最低だな…」
「………ぅ」
「残念です、先生」

 緊張の糸が張り詰めて、この部屋は息苦しさの頂点にあった。オレ自身が責められている訳ではないのに、この部屋にいる男どもは皆、押し黙ることで精いっぱいだった。

「で、こんなに大勢集って、何を?」

 沈黙を見守った後、改めてテマリが言葉を発する。今度は明確な回答をここにいる人間たちに求めているようだ。それにしてもあの弟然り、この姉の方も…どうしてこう仁王立ちが似合うのだろう。これはもう遺伝子的なものかもしれない。

「…いやあ、後輩が粗相しないか気になっちゃってさ」

 ゲンマが気を取り直したように普段の軽めの口調で応えを返す。図太いな。

「ちょうどバキ上忍も自分の生徒について気をもんでたからさ、一緒に話を聞いてやってたわけ」
「下世話な…」
「テマリちゃん、そーんなに浴衣肌蹴させてると、説得力ないぜー?」

 酒を飲んで肌蹴た自分の浴衣の襟元をとんとんと指さした。ぴくりとテマリの眉が動いたが、谷間が見え隠れする襟元を正すことはしない。

「そんな無防備な状態で、嫌らしい手を使いそうなこいつと二人きりの部屋ときたら、上司としては心配すんだろ」
「ライドウ先輩…」

 先までは面白がって煽っていたはずの後輩に、この責任の一端を担がせようとしはじめた先輩方に軽い失望を覚える。結局のところこの人たちも五代目の僕(しもべ)なだけあって、気の強い女に弱いのだ。

「そうだぞ、テマリ」
「―――。」

 テマリは射抜くような視線をバキに返す。他里の上忍は見逃せても、自分の上司は許しがたいことは想像に難くない。

「そもそも私への信頼があったらこんな真似しないだろ…不愉快だ」
「…おい、オレはあくまでもお前の身体を思ってだな…」
「先生だからって何故そんなに干渉するんだ?」

 再びたどたどしい物言いに戻ってしまったバキを、木ノ葉の忍たちは応援するように見守っている。こう見ていると、うちの自慢の上忍も、砂の敏腕上忍も、今日はとても弱そうに見えるから不思議だった。

「めんどくさい。シカマル、戻るぞ」
「…おう。じゃあ、おつかれっす」

 この部屋での一番の権力者の指示に逆らえるはずがない…なるほど、今夜は里の違いとか、歳の差とか、立場の差とかは、きっぱり忘れておいた方が良い。

「待て…!テマリ。いくら任務とはいえ…年頃の飢えた男と二人きりの部屋など、いかん!」
「親父みたいなこと言うなぁ」
「父親代わり見たいなものだ…いい加減に浴衣は着崩すんじゃない…」
「やだよ、私はいつも浴衣を着る時は胸元は空けてるだろ?」
「ちゃんと来なさい。はしたなく見える」
「締め付けたら息苦しいじゃない」
「ああ、もう。先代様に申し訳ない――」
「うるさいなぁ。もう、勝手にさせてもらうんで…邪魔するな!」

 常ならば先輩である面々には申し訳ない気持ちは無くもなかった。けれど、オレも血筋的に強い女に頭が上がらない。いつのまにやら、自分までもが彼女の従順なしもべに成り下がっていた。
 


 

「女王さまとしもべたち」 
inserted by FC2 system