温泉日和 

 
 寒い…ありえない。
 火鉢の中の炭がパキリと小さく音を立てた。そのぬくもりに翳している両手は、炭に近い掌は暖かいが、甲の側は痛みさえ覚えるほどに冷気にやられている。任務中に街中を闊歩していた時には、その熱気やら温泉街の雰囲気に飲まれて忘れていたが、今はまだ冬の時分だった。
 毎日、熱風の吹きすさぶ砂漠に生まれた時分にとって、この寒さは心底応える。浴衣の上に羽織を着こんで、膝の上に置いた羽毛の枕を抱き込むようにして、なかなかみっともない恰好で火鉢を抱きこむ。この寒さでは、気分までも縮こまるようだった。
 やはり、シカマルのように、もう一度風呂に行くべきだったか。いや、火鉢のある部屋でさえこれだけ冷え込んでいるのだ。火鉢から離れて、さらに寒いであろう廊下をひたひた歩き浴場で羽織と浴衣を脱ぐ…これだけの行為を想像するだに、寒い。例えそのあとの極上の温もりがあれども、この深夜の極寒との戦いをするには自分には勇気が足りない。
 忍として戦地に赴くのとはまた異なる度胸というものが、自分には少し足りていない。火鉢の前で悶々としていると、長らく不在をしていた男が、ゆっくりと部屋に入って来た。

「…未だ起きてたのか?」
「ああ、なんだか底冷えするから目が冴えちゃって」 
「アンタも温泉入りに行けば良いだろ」
「もう遅いし、そこまでの寒い道のりがなぁ」
「意外に出不精なところもあんだな」
「…寒さへの耐性が低いのは認めざるを得ない」

 寒さってのは宜しく無い。行動は鈍るし思考も鈍る。温もりに対する執着心から、このように無様な恰好でぬくぬくしてしまう。

「…それにしても、お前、あたたかそうだな?」
「へ?そりゃ、温泉入ってきたし」

 こちらが、火鉢の傍から一歩も動けない状態なのに、シカマルは暑そうに羽織を脱いでいた。雑に畳んで枕元に置こうとしたソレを、そのまま掴んで二重に羽織る。男物は若干大き目に設えてあるようで、僅かながら冷気を遮断する防御力が強くなる。

「アンタ、すごい恰好だぜ?」
「分かり切ったこと。しょうがないだろ…寒すぎるだろう、この部屋」
「廊下から比べれば、十分保温できてるぜ?」
「隙間風があるんじゃないか…」
「そりゃまあ、こんだけ古い建物だしなー。」
「砂と違いすぎる…慣れない」
「潔く、風呂で身体の芯から温めてくるか…その火鉢をもう少し布団に近づけて、その二枚の羽織を掛け布団の上からかけてやれば、いくらなんでもあったかいだろ?」
「…ほんとうに?」
「たぶん」
「そうだ、お前ちょっと私の布団温めてから、自分の布団に入ってよ」
「オレは猫か湯たんぽか?」
「な、お願い。お前は今身体はぽかぽかだろ?」
「まあ、いいけど…」

 先までテマリが陣取っていた布団にシカマルがおずおずと入る。冷てぇ、と足を入れて零していたシカマルだが、毛布と布団の中に入ってじっとしている。

「――もーいいだろ?」
「ありがと」

 火鉢をぎりぎり布団の傍まで寄せて、部屋の灯りを消す。シカマルが移動したタイミングを見計らってすぐに体をもぐりこませる。羽織も着たままが良かったがあまりにごわつくので、布団の上にかけることにした。

「まあまあ、あったかい。シカマル、お役立ちだなぁ」
「…人を湯たんぽ替わりにしやがって」
「湯たんぽかぁ、こんなに寒い場所で暮らしていくことになったら絶対買うね」
「アンタにはこの里は無理だろーよ」
「だよねぇ…温泉が有るのは最高なのに。あー、足先が冷たい、くっそ…」

 シカマルが温めてくれた布団は次第に冷気に侵されていく。羽織がある上半身部分は何とかなりそうだが足先はすでに冷たい。何か手段はないものかと薄暗い部屋を見渡す。行きついたのは最終手段だ。

「……よし」

 温そうな布団に潜り込み、背中を向ける男にぴっとりと肩をくっつけるようにすると、想像以上に暖かかった。やはり男の方が体温が高いらしい。

「……よしって何だ」
「お前は今から湯たんぽだ」
「ふざけんなよ…自分の布団に戻れ」
「何もしないから大丈夫だって」
「…それは本来男の台詞だろ」
「頼む、お願い」
「無茶苦茶だろ…あんた」
「だって、こんな寒けりゃ寝られないじゃないか。これなら…温かいから安心して寝られるよ」

 ぎしりと固まったように動かないシカマルは心底ありがたい湯たんぽだった。一応、男やら女やらを気にしすぎるシカマルに配慮して、背中をくっつけるように体勢を整える。布団の中はほかほかとしていて、やっと眠りにつけそうだった。ゆっくりと深呼吸をして瞼を下ろす。

「いいかげんにしろ」

 ぐい、と唐突に肩を押されたかと思うと、シカマルがこちらを無理矢理布団から追い出そうとして来る。

「何するんだ…?」
「こっちの台詞だろ?」

 何のために温泉に入りに行ったのか分かってねぇのか…何やらごちゃごちゃとつぶやきながら、切羽詰まったような表情で人の身体を寒い布団の外へと押し出してくる。部屋に充満している刺すような寒さに触れて、こちらも全力の力で抵抗をする。

「ばか、寒いっ」

 とりあえず布団から追い出されないように男の身体にしがみつく。ぎゅうぎゅう力を入れてみたら、火照った胸元の肌に頬を付けるような体勢になってしまった。

「おーいー…悪いのはアンタだからな。絶対に!」

 自陣の布団から追い出すことの一辺倒だったシカマルが、こちらの肩を掴んだまま体勢を変え、被さるように見下ろして来る。

「何する」
「人の布団に入ってきといてそれはねーだろ」
「ただ、一緒に布団で寝てくれたらいいのに」
「…おちょくってんじゃねーよ。そもそも、一番最初にアンタがおいでって言ったんだからな」
「はぁ?何だそれ。お前、女に耐性無さすぎだぞ。添い寝ぐらいで…」

 一応の牽制はしつつも、この男女の区切りなどに細かい男にとってはやりすぎたのかもしれない。寒さの耐え難さゆえではあったが、確かに普段よりも密着しすぎてしまったか…。

「じゃあ、あんたは普通に任務中に男と添い寝すんのか?」
「…いや他人と添い寝なんかできるか。勘違いされても困るし」
「じゃあ、オレは何なんだ?安心して寝られるって…バカにしやがって」
「弟みたいに、とても気を許せる…男?」
「アンタは男を馬鹿にしすぎだろう?」
「いや、お前を信頼してこそだぞ。お前は頭の良いヤツだからな…」

 ひとまずこいつの熱意を抑えるように、なるべくこの頭でっかちな男の理性に訴えかけるように言葉を重ねることにする。あくまで子供扱いとして頭をごしゃごしゃと撫でる。こちらを見下ろす体勢のままで、シカマルは項垂れるように目を閉じた。

「――アンタ、もしかして、びびってんのか」

 何かと葛藤しているようだったが、目を開くと同時にやたらと低い声でぼそぼそとつぶやいて来る。

「そもそもあの女将にも嘘ついちまってるからな。オレは日常生活で嘘をつくのが嫌いだ。事実にしちまえばいいよな?」
「おまえ、何いってんだ…?そもそも、力技で私を留められるはずがないだろ」

 暴走を始めたシカマルの防御として、手始めに手が届く位置に転がっていた枕を取り出し顔に押し付ける。両腕をこちらを挟むように布団につけた体勢なのに、枕はすいと横に落とされてしまう。薄暗い空間の中でさらに黒い影がうごめいていた。

「オレの得意技、知ってるか…?」
「――本戦でやられたからよく知ってるさ」

 挑発している瞳は自分しか映らない位置まで近づいて来ている。もはや、少しの動きで触れる位置に唇がある。わざとらしく吐息をかけるように言葉を紡いで来るのが憎たらしい。

「男を舐めてかかるアンタが悪い」
「青臭いお前には未だ早い」

 見下ろす頭に両手を回して力を籠めれば、至近距離にある唇が的確に重なった。先より大人ぶって人を見下してくる男への復讐のつもりだった。先制攻撃はやはり効いたらしく、触れた唇に動きはない。追い打ちで優位性を見せつけるために、ゆるく触れるその場所を焦らすように動かしてから、ゆっくりとその戸惑う唇を舌先で舐めて離してやる。

「甘いなぁ。くノ一の本気の技を味わいたいのか、このおぼっちゃん――今日はここまで」

 きっと女慣れなどしていない年下の男は、口づけの余韻なのか虚ろな視線のままだ。両手でぎゅうぎゅうと頬を挟み込んで、組み敷かれた位置の不利を吹き飛ばすように、笑顔を載せて睨み付けた。

「未だお前には早かったな、シカマル」

 年下扱いをするとシカマル拗ねることが多い。これで大人しくなるだろう。そんないつもの対処をしていたら、ぼんやりとしていたシカマルが何やらぶつぶつつぶやいている。

「――据え膳はちゃんと食えと、親父にも言われてるしな…」
「奈良上忍班長がそんなことを……?そんな話、聞きたくない。」
「こんな古い温泉旅館に、年頃の男女が二人きりで布団並べてんだぜ?何も起こらない方が申し訳ないだろうが?」
「…何逆ギレしてんだ、おまえ…ちょっ…と」

 今度は圧し掛かる体重で押さえつけられるようにされて、再び額がぶつかるような位置に陣取られた。生意気にも余裕があるような笑顔をしている。

「やっぱり、本当は怖いんだろ?」
「…そんなことあるか」
「くノ一の本気ってやつ、試してみればいーじゃねーか。」
「いい加減、落ち着け…挑発か?ガキが。」
「寒いから、あったまって丁度いいだろう?」
「いい加減にしろ――」

 自分が先ほどしたように、今度はシカマルが優しさと強さの中ごろの力で頬を押さえつけて来た。半ばあきらめた頭で、男からの口づけを受け入れる。重ねて触れた場所から、次第に浸食してくる柔らかいのものに一瞬どころか…息をするのを忘れるほど思考が全部持っていかれたのは、認めたくは無い事実だった。

「―――」

 長い間、お互いの接触にどっぷり夢中になってしまった。唇が離れても、しばらく言葉が継げない。ぶんぶんと頭を振って理性を呼び戻す。

「…なんで手馴れてるんだ?」
「知識はあんだよ。アンタは今オレの実験台ということになるな」

 再びゆっくりと口づけて来る。先とは違ってやたらしつこくいたぶるように触れてくる。――ああ不味いと制止の声が頭を巡る。どうにかしなければと、なけなしの力でシカマルの身体を僅かに引き離す。咄嗟に喉の奥から咳き込むようにして、手元を両手で覆った。

「…悪ぃ、大丈夫か?」
「っだいじょぶ、だ…お前ががっつくからだろ…続けろよ」

 諭す声に少し理性が戻ったのか、シカマルは自分を暴走しないように落ち着けながら、限りなく優しく口づけを繰り返してくる。たどたどしさが消えて、熱い舌先で深くまで絡み合わせながら少しの力を込めて、シカマル口腔へと舌を差し入れた。

「アンタ…なにを…」

 唾液と一緒に嚥下させられたものを感じ取ったのだろう。

「大丈夫、あの雲の二人のように、ぐっすり朝まで寝られるやつだ」
「ふざけん、な――」

 シカマルが顔を僅かに歪める。次第に神経系から睡魔に襲われていくだろうし、筋力だって弛緩していくはずだった。

「くノ一の本気、見せろっていっただろ?今度こそおあずけだ」
「くっそ……」

 最後の力を振り絞るかのように、私の肩ごと両手でかき抱いて来る。良く利く薬は指先まで行き渡っているようで、限りなく柔らかい力だった。彼のなけなしの気持ちを無碍にしようとは思っていないので、抱き寄せられるままに体を預ける。

「――シカマル。お休み、良い夢を見ろ。」

 ゆっくり微笑みかけたところで、最後の力が尽きたのか、シカマルは深い眠りに落ちていった。
 ああ、危なかった。想定外な流れで、こいつと契を結んでしまうとこだった。心臓がばくばくしているのは、今はこいつに伝わりはしないから良いとしようか。
 それにしても、こんな大勢の人物が関わった任務中に、頭の良いはずのこいつは考えが及ばないのだろうか?そもそも、男というものは、こういう下半身が刺激された時にはそのような世間体などは関係なくなってしまうのか…。はたまた、私に対する彼の感情が特別だからなのか…?
 理由がどうであっても、こいつの行動なら愛しく思えるから不思議だ。ぐっすりと無防備に寝息を立てているシカマルの額にかかる髪をゆっくりと流してやる。布団を肩までしっかりかけ、せっかくなので、そのまま温い布団に同衾させてもらうことにした。
 何より、こいつと一緒にいるのは、心が落ち着く。

――明日の朝、もう一戦しなきゃかもな…。

 明日はそれぞれ帰路につかなければならないが、それでも、午前中に温泉に入る時間はゆっくりとある。
 明日も温泉日和だ。




 

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