王子さまとお姫さま 2
「あーいい匂いするなぁ」
各部屋や宴会場では夕飯が開始されているのだろう、廊下を行き来するのは料理を運ぶ旅館側の人間ばかりだった。任務中に露天で食べ歩き倒していた割に、しっかり夕飯の入るぐらい胃袋は空いて来ている。
まあ、露天風呂であれだけ騒いでしっかり卓球を3戦、力いっぱい交えているのだからカロリーは過剰に消費しているのだろう。
「無駄な体力を使ってしまったね」
「まあ、任務中にやたら食い歩いたから、良い腹ごなしだっただろ?」
「まーね。今回は勝ったし。美味しく夕飯を食えそうだ…アイツらがいるのは面倒だが」
迎賓館での夕食の前に、ひとまず入浴の荷物を自分達の部屋に置きに戻ることになった。本館あたりと新館へと続く渡り廊下は仲居たちを見かけたが、たどり着いた旧館には静まりかえっている。人の気配が無い訳ではないが、古くて狭い旧館の客たちの多くは、広い宴会場での食事を選んでいるらしかった。
もう窓の外は真っ暗だ。蛍光灯で明るかった本館とは異なり、旧館は暖色のほんのりとした炎の光で照らされている。光源を辿ると、硝子で覆われた燭台のような物が廊下の隅に設置されている。見上げた階段の踊り場の部分には光源があるが、間の階段は少し足元が心もとなくなりそうなほど薄暗い。足元に注意を配りながらギシギシきしむ階段を数段上ったところで、横を歩いていたテマリが、びくりと足を浮かす。
「――痛っ!」
「どうした!?」
テマリは右足を上げたままの姿勢で、階段の手すりを掴んでいる。突然の痛みだったせいか、痛みには慣れているはずのテマリが表情を歪めている。
「何か踏んだみたいで…あれ、掌も痛い…何でだ?」
手すりを掴んでいる右手も痛むのか、手すりから離して自分でその表面を確認している。
「ガラスでも転がってたんじゃねーだろうな…」
「――おい、何する」
階段の途中で、不安定な体勢のまま立たせておくわけにはいかない。ひざ下に手を回して担ぎ上げようとしたオレの肩を、戸惑いの声でテマリが制して来る。
「手ぇはずせ。そのままじゃ危ねーだろ」
「いや、肩だけ貸してくれればいい」
「…めんどくせ」
「おいっ――」
すぐさま印を結び、彼女の両手を影で拘束して、文句を重ねられる前に抱きかかえて階下へ戻る。都合よく、階段前の空間はちょっとした休憩スペースになっている。旧館設立当初の古い写真が飾られたその場所には、古い木造建築に似つかわしいベルベットのソファが置かれていた。文句がありそうな顔でだんまりを決めているテマリを、ソファーにゆっくりと座らせる。
「危なかったんだから、しょーがねーだろ?」
「…大げさすぎる」
確かに、抱えた身体を覆う浴衣は、想像以上に薄手にできていて役得ではあったが。
「で、右足か?」
「――ああ、突然ズキっとしたんだが…」
「ちょと、見るぜ…」
テマリの座るソファーの正面に屈み、片手で足首を固定させてながら、布で出来たスリッパを取る。白い素足が顔を出した。その白さは予想外で、女の足首を手にしていることを実感させられてしまい、少なからず動揺を覚える。
「ちょと…もう、いい―――」
テマリの方も慣れぬ事に戸惑っているのか、オレの手から抜くように足に力が入っている。原因が分からないのも困りものなので、彼女の制止は無視して、足首を緩く掴んだまま、その足を見分させてもらう。足の甲にも裏にも傷は見つからない。
「傷はできてないみてーだぜ。」
「ほんと?」
思い当たることがあって掴んでいたスリッパをさかさまにすると、小さな砂利石が一つポトリと落ちた。
「…これだな」
「なんだ。小石か――」
「じゃあ、手は何なんだ?ちょい、見せてみろ」
足にスリッパを戻してやって、今度は右手を見せるように差し出す。一瞬困惑の表情を見せたが、存外素直にオレの手の上におずおずとテマリが手を置いてくる。足の方が間抜けた理由だったので、負い目を感じているのかもしれない。
「……手すりを掴んだら、痛んだんだけど」
手の甲に指先、ひっくり返して掌を見ても痛みがありそうな傷は見えない。室内の灯りが暗いせいだろうか?顔を近づけて再度見回しても、やはり原因が見当たらない。
「何も無いみたいだが…」
「何でだろ…なんか、指の隙間かな」
テマリがゆっくりと手を握ったり開いたりを繰り返している。
「これは…間接だな…あ、そっか!卓球だよ」
「は?」
人差し指と親指と中指をよくよくみると赤いように見えた。触れてみると、確かに他の部分よりも熱を持っているようだった。
「力を入れすぎていたのか?勝利の代償だな」
「あのラケットの握り方しないじゃない?ちょっと力みすぎたかも」
「人騒がせな…」
「ごめんごめん」
何事も無くて良かった。任務中ならば些細な傷などは無視していることが多いテマリだが、このような任務外の場面だと気が抜けてしまっているらしい。自分でも実感しているのか、珍しいはにかむように笑顔を零す。この片手を預けられた状態で、正面からそのような笑顔を見せられては…ずるいだろう。振り回されっぱなしで、苛立ちを覚える。
唐突に、重圧感の有る響きで、片隅にあった大きな柱時計が19時の時を告げた。歴史の積み重ねられたこの空間に鳴り響く鐘の音は、やたらと厳粛な気持ちにさせる。テマリも静かに鐘の音を聞いていた。後先考えずに、無防備に自分の手の中にある右手にゆっくりと口づける。
「…なにを、する?」
「あ――なんとなく、しなくちゃいけない気分になっちまった」
予想外の反撃に驚いたのか、テマリは珍しく動揺しているらしい。逆にオレの方が、彼女が得意とする不敵な笑顔を作ってみる。たまにはこちらが優位に立つのも気分がいいもんだ。
* * *
「―ーマツリちゃん、見ましたぁ?」
「ばっちり」
旧館のすり硝子の古ぼけた窓から、まるでスパイのように灯りの中を覗く。今まで物語のようなやり取りをしていた二人は、すでに階段を上がってしまった。
「フルコースだったねぇ。」
「そうだね。昼間はテマリさまが王子さまとばかり思ってたんだけど。やるじゃん、あの木ノ葉の人。ナチュラルにあのテマリさまを姫抱きするなんて!」
あれはよほどの躾をされて育ったに違いない。もしかしたら、木ノ葉の旧家の育ちなのかもしれない。
「テマリさま、跪かれて手を取られて、なんだか穏やかに笑ってた…」
「うん。テマリさまの傅(かしず)かれっぷりに、木ノ葉の人の傅きっぷり…二人とも堂に入ってたじゃん」
「手にキスとか…あれはさぁ、もう黒だよね、絶対。報告どーしようか?」
「…面倒くさいねー。どーせバキ先生が暴れるだろうし。場合によっちゃ、うっかり木ノ葉の人が命を落としかねない…」
面倒な上司に見張りの指示を言いつけられていたが、このような場面を見てしまうと、やはり二人を応援したくなるというもの。
「我愛羅さまだって、妨害しろとは言っていないし」
カンクロウさま、バキ先生、ごめんなさい。やっぱり私たちはテマリさまを応援します――今夜の自分達のすべき行動は決まった。