夕物語 「温泉」



 立派な石造りの門扉をくぐると、石畳のずっと先にに小さく唐破風の玄関が見えた。玄関までが緩い傾斜になっているため、見上げる歴史的建築物から威圧感のようなものをひしひしと感じる。

「ほんとーにでかい旅館だったんだな」
「よし、これならあいつらとも鉢合わせる可能性はかなり低い」

  門外からは、鬱蒼と広がる森のように見えたこの老舗旅館「望月荘」は、湯隠れで一番古い宿らしい。松やら杉やらが林立する広大な敷地には、複数の棟が見とれる。棟の間から露天風呂の湯気が白く煙っている。
 玄関にたどり着くと、宿泊者への歓迎を伝える看板前にいた女中が歓迎を伝えてきた。

「雲のやつら、部屋に入ったみたいだね」
「そのためにわざわざ時間つぶしたんだろ」
「もちろんだ」

 仰々しく見えた本館は、中に入ってみると、今様に改築をして整備されていることがわかった。カウンターになっている受付で、丁寧に来訪に感謝の意を伝える番頭に大名直筆の紹介状を手渡す。途端ににこやかな番頭の顔が曇った。少々お待ちいただけますか、と受付の奥に引っ込むと、間を開けず和装の優しそうな雰囲気の女性が出て来る。

「ようこそお越し下さいました。わたくし、この望月荘の女将でございます。お客様、大変言い辛いことなのですが…」
「?」
「ご用意していた本館のお部屋に不備が見つかりまして、別のお部屋にご案内させていただいても宜しいでしょうか?」
「別にどっちでもいいよ、寝られればいい」
「不備って何なんスか?」
「ご用意していたのは本館3階のお部屋なのですが、祭の祝砲が屋根の一部を壊してしまいまして…かなり隙間風が入るようになってしまったんです」
「――そりゃ、災難っすね…」
「じゃあ、その別の部屋でいいよ」

 このようなイレギュラーな対応は慣れているだろうに、さらに言い辛そうに女将は言い淀んでいる。

「――実は、確保できた換わりのお部屋なのですが…旧館にございます。そちら意外の部屋は生憎、祭の影響で満室になっておりまして…申し訳ございません」
「うん?古いのも問題ない」
「旧館は…一番歴史ある建物ですので、お部屋の作りが昔の湯治場時代の仕様なのです。」
「何か問題が?」
「……旧館のお部屋は、本館のような続き間はございません。ご紹介の方から、違うお里の方々なので部屋はそれぞれ別に分けて欲しいとご指定いただいてたのですが…」
「――少し、相談させてもらっていいですか?」
「ええ、申し訳ありません」

 頭をしきりに下げる女将から離れ、受付横の待合スペースに移動する。幸い人影は無い。理由もなく、隠れ里が違う忍がつるんでいると、一般人でさえ色々な憶測を持ち危険視することがあるのだ。

「どうしよっか?私は別に一緒の部屋でいいけど」
「…良くねーだろ?」
「はっ、お前と私が一緒の部屋で何か間違いが起こると思ってるのか?図々しい」
「アンタ、自分の立場とか考えないのかよ?」
「仕事だもの。でも、まあ…お前かそんなに世間体を気にするなら、別の宿を一度探してみる?」
「オレは構わない、男だからな。…アンタは嫁入り前の女だろーが?」
「また出た、その理屈。どうせこの祭の賑わいじゃあどこの宿もいっぱいだろ。女将も災難なのに、さらに迷惑かけたら悪いじゃないか」
「そりゃそうだけど…」

 歯切れ悪くシカマルは言葉を選んでいた。この男の性格上、女の立場を守ろうとするのは分かるが、この状況ではどうしようもない。女である自分が先に手を打ってしまうしかない。

「お前、ちょっと黙っておけよ」

 納得いかなそうな顔をしているシカマルを引き連れて受付に戻る。

「部屋は旧館の部屋で頼みたい…私たちは確かに砂と木ノ葉の忍だが、長い…付き合いなんでね。あまり公にできないが…二人で宿泊したことは幾度もある。だから、今回も問題ない」

 な?と半歩後ろにいるシカマルに目配せをする。でっち上げた関係に驚いているのだろうが、元より心情が読み取れない顔だ。しかし、僅かに視線が泳いでいる。

「ただ…申し訳ないが、私たちが旧館にいることは、紹介主の大名や…もし私たちの里の関係者から連絡があった時なども黙っていてくれないだろうか?本館の部屋にいると伝えて欲しい。」

 秘密にしていることなんでね、と指を一本口に添えて囁くと、女将は顔をほころばせた。

「――かしこまりました。急な申し出をお受けいただきありがとうございます。すぐお部屋にご案内致します。また…この無礼のささやかな埋め合わせに、お食事を一番上級のものにさせて下さい」
「そんな、どうしようもない事故なんだもの、必要ないよ」
「本当に、申し訳ないっすから、いいですよ」
「いえ、せめてそのようにさせて下さい。」

 深々と頭を下げる女将を見て、受けておいた方がお互いの関係にも良いように感じた。そのまま、じゃあせっかくなんで、と合意を伝える。

「では、お夕飯は時間になりましたらお運びしますが、お部屋か大広間のどちらで召し上がりますか?」
「…部屋でお願いします」
「かしこまりました。では、これよりお部屋へご案内致します。」

 先ほど玄関にいた女中が前に立ち誘導してくれた。受付横の立派な階段を通り過ぎ、突き当りを建物の奥側へと曲がる。古めかしい渡り廊下を進むと別館を通り抜け、さらに渡り廊下が続く。旧館に続く渡り廊下は古くて長い。女中がこの渡り廊下と旧館は創業時のままの姿だと教えてくれた。

「迷子になる方も多いんです。廊下や階段がある場所には必ず案内を出しております」

 確かに、渡り廊下が旧館に接続する場所には矢印付きで行先が分かりやすく書いてある。これなら時間はかかっても目的地にはたどり着けそうだった。

「…この建物は風格が違うな」

 飴色に光る床は歩くたびにギシギシと音がする。壁の漆喰も電灯の装飾も、全体が鈍い色を帯びていて、歴史を感じさられる。一番大切に磨かれてきた建物なのだろう、古くても決して不潔さは感じさせない。

「古い木造建築では珍しく、三階建てなんです。改装した本館や新館と比べると不便なことは多いんですが…一番の貴重な建物ですから」

 細い階段を二階へ上がる。途中、踊り場になる場所から中二階のような離れにも廊下が伸びており、この旧館自体も増築があったことが分かる。二階を奥へと進むと水の音が近づいて聞こえた。

「こちらでございます」

 「山吹」と表札がかかる扉の前に着くと、女中が引き戸を両手を添えて開ける。簡素な畳敷きの部屋は湯治客がただ横になる場所だったのだろう。八畳ほどの簡素な部屋には押入れと障子窓だけが設えてある。無駄なものはすべて省いたような部屋だった。

 ぽつんと淋しく見えた机で、女中に入れてもらった茶で一息つきながら部屋の使い方や温泉についての説明を受ける。机の横に置かれていた火鉢から、じんわりと温かさを感じた。

「夕飯時や何かご入用な時には出入り口の呼び鈴をご利用下さい。本館に伝わるようになっております。」

 それでは失礼しました、と三つ指を着いたお辞儀をして音も立てずに部屋を辞した。緊張が解けて、肩の力が抜ける。正面で茶をすすっているシカマルも、ほうと溜息をついていた。

「ったく、女将にどんなこと言うかと思えば」
「ああ、てっとり早かっただろ?これで旅館側は鉄壁の保護をしてくれるさ」
「ま、いいけどよ…」

 気を使う人間がいなくなり、ゆっくりと茶を飲みながら耳をすませる。周りの部屋に人がいないのか、やたら静かだ。窓の外からの水音が気になり障子とガラス戸を開け放つ。露天風呂の音かと思っていたが、旅館の敷地の外れに清流が流れていた。そして、清流を見下ろす位置に露天風呂を囲う竹塀が見える。

「さぁて、早速ひとっ風呂いこうよ」
「ちょっと待て、計画立てて行こうぜ」

 ずずっとまた一口茶をすすり、とんとんと机の上の紙面をシカマルは指さす。先ほど、女中に手渡された敷地全体の見取り図だった。

「あ……思い出した。その問題があったか」

せっかくこれからの楽しみに盛り上がっていた気持ちが瞬時に霧散する。

「あいつらと鉢合わせない温泉を選ばないとな…5つあるのか」
「そうそう。部屋のカギは一つだから二人は一緒の温泉を選ぶとして…混浴はねーだろ」
「…ないだろうな。迎賓館からの近さで考えれば、本館の十六夜湯か新館にある大浴場か」
「オレも同感だ。てっとり早くどちらかに向かうと思うぜ」
「あの性格だもんな。じゃあ、安全なのは二つの露天風呂だな」
「望月の湯か朔の湯か…どっちがいい?」
「どのみちまた入りに行くけどさ。この館から近いし、望月の湯にしよう」
「おう。んじゃま、さくっと行きますか」


* * *


 脱衣所の扉を開けると、もわっとした湯気が流れ込んできた。電灯に照らされた浴場は予想以上に広いものだった。男湯との間には高い竹の壁が設えてあるのだが、その一面に半分に割られた竹が、温泉を運ぶ管としていくつも渡されていた。

「これはすごい」

 熱い源泉を外の外気にさらすことで、人が入れる温度まで冷ましているらしい。竹を伝って運ばれた源泉は、水で薄まることなく、成分そのままに湯船からどんどん溢れては流れていく。
風の国には温泉が無い。そもそも水が貴重な土地に生まれ育ったテマリにとって、止め処なく溢れる水は驚異的な贅沢だ。
 風呂場に満ちた湯気のおかげで、冬空の露天にもかかわらず寒さが薄らいでいる。山のように積んであった桶を取り身体に湯をかけると、熱い湯が沁みた。
 乳白色の湯で充たされた湯船は大きなものが3つあり、それぞれ微妙に温度が異なるらしい。未だ身体が冷えているので、一番手前の熱い湯につかる。

「…んん――」

 誰もいないのを良いことに鼻まで顔をつけてから、ぐいっと体を伸ばす。移動距離もあったが、一日のどたばたした任務の疲れも苛立ちも湯に溶かされていくように感じる。あのめんどくさい二人のせいで散々な任務だったが、帳消しにできそうな気分だ。
 顔を上げて見上げた空はすでに暗く、旅館の名と同じ満月が白く光っている。頭を浴槽の檜に預けてぼんやり月を眺めていたら、がたりと扉の開く音がした。広い浴場を独り占めしていた贅沢な時間は打ち切られてしまった。

「あ、テマリじゃねーか!!奇遇だねぇ」

 最悪だ。素っ裸で慣れ慣れしくこちらの湯船に近づいてくるのは、紛れもなく今一番顔を見たくないやつらの片割れ。なぜこんな遠い場所の浴場を選んでわざわざ来たのだか。

「…何しに来た」
「ハァー?温泉旅館で露天風呂に入って何が悪いってんだ?!勝負に負けたから顔も見たくないってか?心せめーな」
「寄るな、騒がしい。私はゆっくりしたいんだ。」
「なぁに水臭いこといってんだ、こんな旅先の温泉なんだ、女同士裸のお付き合いしようぜー」
「断る」

 ざばざばと桶の湯を勢いよくかぶったかと思いきや、飛び込むようにざぱんとテマリと同じ浴槽にカルイが侵入してくる。反射的に立ち上がり、ざぶざぶ湯船の後方へと退避する。

「おー…テマリっちゃん、いいカラダしてんじゃねーの?」
「―うるさい」
「逃げるなって。せっかくなんだし、オトメトークしようぜ?」

 カルイは擦り寄るように肩を並べる位置に陣取ってくる。すでに男湯とを隔てる壁の傍まで追いやられていた。面倒なので腹を括ってその場に腰を落ち着ける。

「おとめ…?はっ、笑わせる」
「…てめーに言われたく無いわ。で、早速だが、砂隠れの男前エリートとか紹介してくれよ」
「わからん、なぜうちの里が良いんだ?お前の里の気質から合わないだろ?」
「いやぁ、違うから良いんじゃねーのぉ?なんか砂隠れの男は基本クールそうなのがウチの里には無い感じで良いし」
「…はぁ。私の上の弟はこれっぽっちもクールじゃないよ。我愛羅も感情を表現するのに慣れてないだけでクールではないと思うぞ」
「てめーの身内はどーでもいいんだよ…じゃなくて、ほらぁ、ウチに釣り合うくらいの、若くてエリートな男とかいんだろーが。」
「いたらどうするんだ?」
「…てめー淡泊だな。あッ、あああ!そっかそっかぁ、自分はちゃんと木ノ葉にエリート男確保してるから砂は興味ねーのか。で、シカマルとはいつからの仲なんだよ。――ぶっちゃけどこまで行ったんだ?」

 下品な表情で、声を潜めて肩に手を回してくる。オトメと名乗る割には、やり方が親父臭いのがいただけない。

「確保しとらん。」
「嘘つけ」
「下衆が」
「あーやだやだやだ、せっかくのオトメトークに秘密は無しだろーが?」
「うるさいな。他人の色恋に興味示している暇があったらもっと教養をつけるよ。他人に迷惑をかけずに生きる方法とか?」
「てめッ―――!」

 湯で上気していた顔が一瞬で怒りの朱に染まる。分かりやすい。雲隠れの奴らは基本的には悪くない人間たちが多いのだろう。ただし、一緒にいると迷惑以外のなんでもない。
 湯を浴びせるように手が動くのを見とり、すぐさま顔の前で手ぬぐいを持って防ぐ。

「……?」

 予測していた攻撃が来ないので目を開けてみると、立ち上がったカルイは、両手を口の周りで丸め拡声器のようにしている。ゆっくりと、大きく息を吸った――。

「テマリ、おっぱいでけぇ!すっげー!!」
「!」

 男湯へ伝達するような叫び。あまりに想定外の行動に、カルイを湯船に沈めるのも忘れてしまった。ワンテンポずれて、男湯から聞こえてくる、がらがっしゃんという固い物がぶつかり、ばしゃりと何かが湯に落ちる音。

「……きさま――恥を知れ!なんで男湯に叫ぶんだ?!」
「反応アリだぜ!…あれ、静かになったな。オモイは鼻血噴いてんじゃねーか。ははっ」 




-夕物語・了-

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